ペリーが浦賀に現れて160年、日本は、欧米の洗礼を受け国際社会に登場しましたが、それより少し前、アヘン戦争などで時の中国は列強の餌食になりました。後発のアメリカを「美国」と呼び相思相愛の関係になった米中両国の共通の敵として先の大戦で日本に立ち向かいました。ところが戦争末期から戦後にかけて予期せぬ史実が展開しました。中国の共産化でした。これで戦後の日米の関係が構築されました。今、21世紀を見渡すベクトル(方向性)がぶれていますが、米国経由の世界観からの脱却と、新たなアジア世界の構築が日本と日本国民に求められていると著者は訴えます。
『世界を知る力』 寺島実郎 著 2010.1 PHP研究所 P306
総合商社や海外のシンクタンクを経験し、現在の複雑不透明な世界情勢に詳しい専門家ブレーンの代表格である氏の日本を取り巻く社会観の著述である。混迷を極めるわが国の政治情勢から、進路が見えにくくなっている現在のベクトルを占うことに有効である。
キーワードを拾うと...... 戦後を生きた日本人がほとんどすべて身につけてしまった、特殊な世界認識の鋳型、固定観念がある。「アメリカを通してしか世界を見ない」というのが、それだ。...そういった悲しい習慣は、主権を回復したのちにも影を落とすことになる。ヨーロッパを見るのにも、アジアを見るのにも、直接、それらの国・地域を眺めるのではなく、まずはアメリカというフィルターを通して眺めてみる。そんな奇妙な世界認識の鋳型が形成されてしまったのである。...戦後日本人の世界認識は、むしろ、アメリカなる存在の影響を受けて、きわめて限定的で、融通の利かないものへと変容してしまった。言葉を換えるなら、戦後という特殊な時空間に閉じ込められたことで、戦前にさえ見えていたことも見えなくなってしまったのである。こういった世界認識をあらためるには、アメリカというプリズムに頼らずに、対象となる世界を直視することが大切だ。戦後という限定的な時空を超えて、視界を広げてみること。
わたしたち日本人は、通常、中華人民共和国の民を「中国人」と呼ぶ。しかし、欧米人が「チャイナ」とか「チャイニーズ」と呼ぶ場合、それは、必ずしも中華人民共和国やその国民を意味しないことに、あらためて気付かされるのである。彼らは、全世界に約6000万人散在しているといわれる華僑も含めて「チャイナ」「チャイニーズ」と呼んでいるのだ。 (共和国・台湾・香港・シンガポールなど広義の「大中華圏」を欧米人は「チャイナ」ですませる) 2009年は、天安門事件が起きてから、ちょうど20年目にあたる。いま世界を見渡してみると、かつて社会主義国と呼ばれた国のほとんどが苦闘や混迷を続けてきた。しかし、そのなか中国だけは、社会主義体制を維持しながら、経済的成功も手にし、アメリカと並ぶ超大国として台頭することができた。なぜだろう。わたしは、ふたつの危機を克服したことが、今日の中国をもたらしたと考えている。ひとつは、香港返還である。... そして、 もうひとつが台湾問題である。
「IT革命を主導するアメリカ」という物語を喧伝し、世界中から若い研究者をシリコンバレーに引き寄せた活気あふれる1990年代。...21世紀に入り、9.11をきっかけに突入したイラク戦争が、すべてを変えてしまった。...爆発的にふくらんだ戦費。...戦争終結までに3兆ドルの戦費負担になるだろういわれている。すでに1兆ドルを超す戦費負担で、12年間に及んだベトナム戦争を上回り、朝鮮戦争の2倍以上に相当する額だという。...疲弊するアメリカに、さらに追い討ちをかけたのが、「悪魔の金融商品」とも呼ばれたサブプライムローンの破綻に端を発した金融不安の激化である。アメリカ流金融資本主義は、いまなお方向を見失ったままである。(90年代にIT革命で復活したアメリカは、21世紀に入ると軍事力を過信し、強欲な金融資本主義にひた走ることで、再び消耗し憔悴するアメリカに転じてしまったのである。)
そこに、「再びのアメリカ復活」という十字架を背負って登場してきたのが、オバマ大統領である。イラク戦争に反対の立場をとり、行き過ぎた資本主義にもきわめて批判的な立場をとってきた。その大統領が、アメリカ再生を賭けて展開しようとする政策が、「グリーン・ニューディール」(メディアの造語)である。太陽・風力・バイオマスなどの再生可能エネルギーへのパラダイムの転換を主張している。(小型分散にすぎない非効率とする大方の専門家の批判はある)。理想主義的だが空疎な奇麗事ばかりで終わったカーター大統領の道を歩むのか、それとも、ニューディール政策によって世界恐慌のどん底からアメリカを力強く復活させたフランクリン・ルーズベルト大統領の道を歩むのか、岐路に立たされているとの見方も強まっている。
21世紀の日本が向かうべき針路を考えるとき、必ず浮かぶひとつの言葉がある。 「日米関係は米中関係である」 これは、戦中、国際派ジャーナリストとして活躍し、戦後はアメリカ学会会長として、あるいは六本木にある国際文化会館の理事長として日本の国際交流に大きく寄与した松本重治が、30年ほど前、『上海時代』という著書のなかで語った言葉だ。 戦後の日本は対米依存を深めるあまり、その背後に米中関係があるという重要な認識を欠落させたまま生きてきた。アメリカがアジアにはじめて登場したのは1853年。あのペリーの浦賀来航の時である。(南北戦争という国内紛争のためアジア進出は後発) アメリカは日本が進出した直後に、欧州諸国でも日本でもない第3の列強としてアジアに進出したことになる。同じ帝国主義列強とはいえ、アメリカの参入は中国にとってウェルカムだった。中国からすれば、欧州や日本を牽制するためのカードとして充分活用できるものだった。アメリカだけは、いわば「相思相愛」の関係として中国に迎え入れられたのである。
中国語ではアメリカのことを「美国」と表記する。...太平洋戦争も、いわば日本とアメリカの中国をめぐる対決といえるのである。...まさに米中が連携して日本を倒したのが太平洋戦争だった。...しかし戦後、事態は一変する。国民党と、ソ連から援助を受けた中国共産党との間に国共内戦が起こったからである。中国は二つに分かれてしまったのである。戦中の米中関係をしたたかに見つめていたイギリスは、即座に毛沢東の中華人民共和国を「中国の正統な政府」として承認した。アメリカは蒋介石支援が主流で承認できず、朝鮮戦争など東西対立の主戦場と化した。こうして共産中国を封じ込めるために、日本を西側陣営に取込み戦後復興させるしかないという皮肉な決断をアメリカは迫られた。
日本が冷戦型の世界認識から完全に脱却するために必要なことはなんだろうか。わたしは、対米外交原則をあらためて明確にすることが欠かせないと考える。...まず大切なことは、健全な常識にかえることである。そもそも、独立国に外国の軍隊が駐留し続けていることが、いかに不自然な事態であるか、わたしたち日本人は気付くべきだ。ドイツは、冷戦終結後、1993年に在独米軍基地の縮小と地位協定改定を実行している。しかも、日本は現在も、米軍駐留コストの七割を負担しているのである。 日本に求められていることは、「親米入亜」だろう。アメリカがアジアから孤立しないように配慮しながら、一方で、日本がアジアからの信頼を確立していくことである。
(文・富士館館長 山下 行夫)