富士町に水源をもち、有明海に注ぎこむ嘉瀬川の流域には、海や川や水の神様とされる
"豊玉姫"を祭った淀姫神社が6箇所もあります。
豊玉姫は、海幸彦と山幸彦の神話にも登場し、海の神と山の神を結びつけた女神。
その豊玉姫に守ってもらっているのが富士町なのですから、この地域がどれほど自然や"水"との縁が深かったか想像できますね。
富士町には、熊の川温泉は大師が発見し、奥の院には弘法大師が立ち寄ったとの話が伝わっています。
平成になるまで、佐賀平野の街を出発して、大和町~熊の川・古湯温泉~畑瀬~高野岳奥の院~権現山頂上というルートで、お遍路さんが巡拝していました。
高野岳良源寺を建立された良源和尚は、徳島からいらして権現山で修験された後、その一山である高野岳に八十八ヶ所霊場を開かれたそうです。お遍路さんたちが参拝途中に喉を潤した湧き水は、今も残されています。
天山横断道沿いの市川地区は、江戸時代は小城藩に属していました。そのため、市川から天山の尾根を越えて小城町へ行く行商がありました。山からは氷を運び、それを売ったお金で日用品を買って帰ったようです。
市川には、お爺ちゃんやお婆ちゃんが"薬水"と呼ぶ湧き水があります。昔、行商帰りの村人が小城のある所で飲んだ水で腹痛を起こし、市川まで辿り着いて湧き水を飲んだところ、腹痛が治まったとか。それが"毒水"と"薬水"の言い伝えです。
残念ながら現在は水は流れていません。
天山横断道沿いにある湧き水で、昔、地域の人たちが永遠の眠りにつく際に
「飲みたい」と口にしたとの言い伝えがある"こしけの水"。
「こしけ」とは「凍える」という意味ですが、夏でもとても冷たく、長く手をさらすと 凍えるような感覚になります。
今の"こしけの水"は、横断道開通時に新しく作られたもので、それより以前の"こしけの水"は、天山登山道沿いの水田の下から湧き出ていました。
雄淵・雌淵公園は、熊の川温泉から嘉瀬川上流約1kmのところにある絶景の名所です。
明治時代の末まで、富士の北山から切り出していた材木は、嘉瀬川を流して佐賀まで運んでいました。雄淵・雌淵は周辺は最大の難所と恐れられ、雄淵の水面下には洞窟があって、材木やイカダが突っ込んだら、再び浮かび上がることがなかったそうです。
また、古湯村の若者と熊の川村の娘との、悲しい恋物語も語り継がれてきました。